ジャングル(空港)に到着
途中で立ち寄ったアルゼンチンの空港では、
売店の棚にメッシのグッズやワールドカップのトロフィー、
そしてマテ茶用のカップがずらりと並んでいた。
サッカーとマテ茶。
アルゼンチンの“日常の象徴”が空港の光の下で存在感を放っていて、
「これから本当に南米の奥へ入っていくんだ」と、少しだけ胸が高鳴った。
そこからさらに飛んで、
ジャングルの真ん中にぽつんと作られたイグアスの空港に到着した。
22時を過ぎた、深夜のことだった。
チリの余韻が残ったまま、
また別の“地球の極端”に足を踏み入れた。
暗闇と湿気に包まれ、
“ここは街ではなく自然の中なんだ” と一気に思い知らされる。
空港の明かりも少なく、建物も静かで、
人の声すら吸い込まれていくような夜。
それでも、市街地へ向かうバス乗り場には浮かれた観光客が列を作っていた。
その光景を見て、どこか一気に現実に引き戻される。
長旅で疲れていたし、体力を温存したかった。
適当な言い訳を考えてタクシーでホテルに向かった。(2025年当時はUberはなかった)
ほとんど街灯はなく真っ暗。
と湿った空気と土の匂いが濃く漂う一本道を、
数台の車のヘッドライトだけが少しだけ照らしている。
なぜか緊張した。
ホテルから公園へ向かう朝、そして“公園の広さ”に圧倒される
ニワトリの鳴き声で起こされた翌朝。
昨夜ほどの湿気はなく、思った以上に空気が軽かった。
ホテルから国立公園までは昨夜運転してくれた
“メッシ系統“の顔の高身長のお兄さんが迎えに来てくれた。
車が進んだと思ったら一瞬で街並みが徐々に緑に飲まれていき、
気づけば周囲の景色のほとんどが木々になっていた。
「本当にこの先に世界最大級の滝があるのか?」
国立公園の入口に到着すると、
最初に驚いたのは そのスケールの大きさ だった。

(地図を理解できなかったので所々にいるガイドさん達に質問しながら歩きました。)
建物も道も、思っていたよりずっと広い。
観光地らしい華やかさよりも、“森の中に巨大な施設だけ置きました” という素朴さが際立つ。
朝の時間だったが、すでに人は多く、
その人の流れがどこへ向かっているのか一瞬では把握できない。
「まだスタート地点でこれか…」
イグアスの“広さ”に対する実感がじわっと湧いてきた。
ここから、今日は
午前でアルゼンチン側を高速攻略 → 午後にブラジル側へ移動
という、自分で組んだとは思えないハードスケジュールが始まる。
その覚悟を決めるように深呼吸してから、
チケット売り場へ向かった。
予約していたボートツアー(遅延30分から始まる南米の洗礼)
予約していたボートツアーの集合場所に着いたのは、朝のまだ涼しい時間帯だった。
ただ、集合時刻になっても係員はどこか落ち着いていて、
観光客たちも誰ひとりとしてソワソワしていない。
それどころか蝶々と戯れるくらい余裕がある、、、。

そして案の定、ツアーは 何の説明もなく30分ほど遅延。
大型のオープントラックがやっと到着。

南米に来てから何度も感じた “あのゆるい時間” の流れ方が、ここでも漂っていた。
「まぁ、ここは急がない国なんだな」と諦め半分、納得半分。
焦っているのはたった一人の“日本人“だけだった。
このトラックが、
森の奥へ、滝の手前まで連れていってくれる。
ただ──思っていた以上に時間がかかる。(多分30分くらいかな?)
ジャングルをひたすらガタガタ揺られながら進み、
道の果てがどこにあるのか分からないまま進む。
なんとなーく“ジャングルクルーズ“感があって楽しかった。
「ここ、滝まで結構遠いんだな」
そう感じ始めた頃にようやくボートツアーの入口に着いた。

出発すると、ボートは静かな川を進みながら少しずつ滝に近づいていく。
最初はただの川面が、次第に荒れ、音が濃くなっていく。
やがて真正面から巨大な水の壁が現れた。
そこからは言葉はいらない。
水しぶきというより“暴力的な水の塊”が、
容赦なく全身を打ちつけてくる。
目の前は真っ白で轟音の中、何が起きてるのか方向感覚もなくなっていた。
自然と一体になれたというにはあまりにも衝撃が強く、そんな感覚も抱かなかった。
ツアーが終わる頃には派手に濡れた服と、
「南米の洗礼を受けたぞ」という妙な達成感だけが残っていた。

✨ 滝を見るためのトレッキング(約1時間半の駆け足ルート)
ボートから戻って体を軽く乾かしたあと、
すぐに トレッキングルートへ向かった。
午前中でアルゼンチン側を回りきる必要があったので、
ゆっくり歩く余裕はあまりない。
時間と体力を削りながら、結果的に1時間半ほどでコースを進んだ。
イグアス国立公園はとにかく広い。
一本道ではなく、遊歩道や橋が複雑に伸びていて、
“自然の中を歩いている”というより
“自然の中に置かれた道を必死に辿っていく” という感覚だった。

途中で小さな滝がいくつもあった。日本だと主役級だが、天下のイグアスでは小物扱い。
さっきボートで突っ込んだ滝はどこ?辿り着けないのかな、
という心配をしながら30分ほど歩いたと思う。
そこで初めて、滝の一部が見える。

迫力で圧倒されるというより、
「やっと見えた」とホッとする気持ちが勝った。
それだけ道中が長いということだ。
そして崖沿いに設置された鉄柵の道をたどってやっと到着。

、
やっと見たかった場所に辿り着いた。
アルゼンチン側のハイライト 滝の真上「悪魔の喉笛(Garganta del Diablo)」 だ。
真上からも横からも見れる場所も多く、
何か所も同じように主役級が並んでいるので時間はいくらあっても足りないかもしれない。

■ 悪魔の喉笛がつくられた理由 — プレートと溶岩の物語
イグアスの滝は、
約1億2000万年前の地殻変動と火山活動が生んだもの。
- 地下深くから流れ出た溶岩が何層にも積み重なり、
- その上をイグアス川が流れ、
- 川の浸食によって大地が崩れ落ち、
- いまのような巨大な段差が誕生した。
悪魔の喉笛は、その浸食がもっとも進んだ部分。
つまりここは、
「地球が何千万年もかけて削り続けた結果が“今も進行中”の場所」 ということだ。
滝が後退し続けているため、
未来のイグアスの滝の姿は、今とはまったく違うものになっているはず。
■ 霧が、雨が、虹が、すべてが混ざり合う舞台
悪魔の喉笛の展望デッキは、
“舞台装置”のど真ん中に立っているようだった。
・顔に当たる霧は、雨のような粒子
・上から落ちてくる風は、滝が生む強制的な暴風
・時おり光が差し込むと、足元から虹が立ち上がる
・喉の奥まで響く轟音が、思考を止める
体のどこかで、“浄化されていく”ような感覚だった。
自然は雄大だとか、美しいとか、
そんな言葉が吹き飛んでしまうほど、ただただ圧倒的だった。
自然の一部になった感覚すら持てなかった。
■ 言葉がいらない場所—だからこそ、旅の中に残った
旅をしていると、
「写真では伝わらない場所」という言葉をよく聞く。
悪魔の喉笛は、その典型だった。
・音
・匂い
・湿度
・肌に当たる霧
・視界を覆う白い煙
──これら全てが揃って初めて「イグアスの滝」になる。
たくさん写真を撮ったけれど、
写真フォルダーは静かで整理されているので、
あの場所を表現できていないと思った。
けれど、それでいいのかもしれない。
旅の価値は、
画質でも、構図でも、情報量でもなくて、
自分の中に残った“経験と記憶”なんだと思う。
悪魔の喉笛は、まさにそんな場所だった。
■ 旅の実用メモ(アルゼンチン側)
● 所要時間
公園全体で丸1日過ごせるくらい広い。
急ぎの場合はボートツアー込みで4~5時間ほどの所要で回れた
● アクセス
プエルト・イグアスからバスもしくはタクシーで約30〜40分。
2025年10月時点ではUberはなかった。
● 注意点
・公園入り口で有料だが預け荷物は可能。(金額は3000円前後くらい?)
荷物置き場は狭くはないが、置き場所に限りがありそうだった。
・霧で全身濡れる
・カメラやスマホは防水ケース必須
・遊歩道は長いので歩きやすい靴推奨
遊歩道は金属で作られており、めっちゃ滑りやすい


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