01 南米へ行く理由 旅を決めた背景と価値観の変化

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✈️ 旅の目的・背景

なぜ南米だったのか。28歳で「人生の軸」を探しに行った18日間。

子どもの頃から、南米という場所には漠然とした憧れがあった。

テレビで流れるカーニバルの映像、底抜けに明るい音楽、真っ青な海や空、そして遺跡の数々。

それらは、小さな島国で育った自分にとって“世界のどこかの遠い夢”のような存在だった。

大人になってからも、そのイメージは静かに心の奥に残っていた。

仕事や生活が深まるほど、自分の価値観の“固定化”を感じ始め、「一度、全く別の世界に触れてみたい」という想いが強くなっていった。

南米行きを後押ししたのは、ある夜、何気なく再生した Luis Fonsi の “Despacito” のPVだった。

真っ青な海、陽気なリズム、色鮮やかな街並み、自然と体が揺れてしまうようなあの雰囲気。

「この世界の中に、一度でいいから飛び込んでみたい」

そんな衝動が、気づけば“決断”へと変わっていた。

28歳。

台湾での駐在生活も2年目に入り、仕事も私生活もひとつの形を作り始めていた時期。

だからこそ、自分の“人生の軸”をつくるため、見直すための、新しい視点と価値観が必要だと思った。


💡 旅の気づき・学び

文化の違い:時間に追われないという“豊かさ”

南米では、誰も時間に急かされていない。
約束の時間に5分遅れても、誰も眉ひとつ動かさない。
列に並んでいても、店員が他の人と談笑していても、誰もイライラしない。

“効率”がすべての日本とは対照的だが、
そのゆる〜いリズムの中には、確かに**「人をちゃんと見ている」温かさ**があった。

急がないからこそ相手の表情が見える。
余白があるからこそ相手の温度を感じられる。

南米にいた間、焦りや苛立ちを抱えている人をほとんど見なかった。

人生に本当に必要なのは、
もしかすると“速度”ではなく“余白”なのかもしれない。

現地の人の印象:明るさは“文化”ではなく生き方

南米の人は、よく微笑んでいたような気がする。
言葉が通じなくても、ジェスチャーでどうにかしようとしてくれる。
困っていれば、自然と手を差し出してくれる。

困っているアジア人に声をかけてくれるような“ゆとり“と“優しさ“があった。。

それは単なる「親切」ではなく、
“お互いさま”が呼吸のように染みついた生き方だった。

長く辛い歴史や、厳しい自然とともに生きてきたせいか、
自分たちの文化や自然を驚くほど誇りにしていた。
その誇りが、彼らの優しさと強さを支えていたと思う。

自分の価値観の変化:自分の常識からの解放

旅の途中、何度もふと思った。

「自分はなーんでこんなに“正しさ”に縛られて生きていたんだろう。」

南米にいると、良い意味で“意味づけ”がゆっくり薄れていく。

  • 何をしてもいい
  • 誰であってもいい
  • 何かに追われなくていい
  • すべてに理由を求めなくていい

“人生を効率的に管理しなければならない”という思い込みは、
広すぎる空と、圧倒的な自然の前では薄い膜のように剥がれ落ちていく。

焦っていた自分の“小ささ”ではなく、
生きている世界の“広さ”のほうが大事だと、心の底から思えた。

旅行は、逃げるためではなく、
“自分の世界の狭さ”を知るための行為なのだと思う。

自分がどれほど小さな枠の中で生きていたのかを知ることで、
逆に未来が驚くほど自由になる。

南米で過ごす中で、何度も思い出した言葉がある。
お世話になっていた元上司がいつも言っていた、

「日本のあたりまえは、世界の非常識だ。」

南米のゆるやかな時間の流れ、
人の温度を大切にする生き方、
評価ではなく、笑顔でつながる日常。

それらに触れたとき、初めてこの言葉の“重さ”を理解した。

“あたりまえ”にしがみつくほど、世界は狭くなる。
だけど——手放した瞬間、まるで新しい扉が開くように、
別の生き方が見えてくる。

この旅で最終的に得られたもの

旅を終えて強く感じたのは、
“人生の軸”とは、具体的な答えや肩書きではなく、
「自分はどう生きたいのか」というシンプルな感覚だった
ということ。

南米の空の深さ、風の強さ、音の静けさ、そして陽気な声。
そのすべてが、自分の中にあった焦りや義務感を溶かしていった。

あの瞬間に気づいた。

――自分はずっと、“正しく生きること”に縛られていた。

評価される選択。
安全な選択。
間違えない選択。
周囲にとっての“理想の自分”であろうとする選択。

その全部が、自分の自由を少しずつ奪っていた。

でも南米では、それらが一度すべてゼロに近くなる。
ただそこにいるだけで、等身大の自分を見つめ直すことができた。

あの感覚こそが、ずっと探していた“軸”の正体だったのかもしれない。

人生は自分で選んでいい。
誰に合わせる必要もない。
もっと自由に、もっと伸びやかに生きていい。

南米で得たのは、
旅の思い出や写真だけではなく、
**“生き方そのものを柔らかくする視点”**だった。

28歳の自分が本当に必要としていたのは、
成功や成果ではなく、
この“しなやかさ”だったのだと思う。

そして今ははっきり言える。

この旅は、人生を変えるためではなく、
自分を取り戻すために必要だった旅だ。

そして——
死ぬまでにもう一度、必ず南米大陸を旅したい。

あの広さに、もう一度触れたいと思っている。

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